Yellow card

 

ウェブページは公開を前提に書いているのだから、そしてそれぞれ立場も意見も異なる人に読んでいただくのだから当たり障りのないことを書かない限り何らかの軋轢を生んでしまう。

仕事をしていく上で得策ではないかもしれない。インターネットというツールが登場しない限り一般人のわたくしには有り得ない行為。しかし人生半ばをとうに過ぎ、あまり黙っていてばかりはいられないとも思うのだ。そこでちょっとスレスレかもしれないが若干本音を吐露してしまうという愚挙を密かにしてしまう。 


ブログでもいいのだけど、検索エンジンに無闇に引っかかって多分すぐに終了に。

そこでこそこそとぶつぶつと垂れ流す小心者の行為にお笑いあれ。

恐らくここでこんな風に書いても実生活ではまぁまぁ、なぁなぁで腰砕けになるやも。

では、始めに逃げを打っておこう、これはエンターティメントなのだと。



きっかけはこんなこと。

2008年1月1日今年のスタートのブログに「あの時食べてしまえば良かった」云々という

切実な!!お笑いを書いたところ、「セクハラ」であるという(男性からの)指摘があって

腰を抜かしてしまった。もちろん悪意も後悔も諦念もごっちゃまぜの、「屈折の闇鍋」のような思いで書いているので言われなき誤解というのでもないのだけれど、それにしてもびっくらこいた。本当に人の世はままならないもの、しかし小生が悪いのだ、只でさえややこしい浮き世なのにさらに火に油を注ぐような行為をしたのだから・・・・。

反省の日々を送っていたところ嵐山光三郎氏の本に出会った。

そして、反省を放り投げて、またぞろカオスの中へと突入していくはめになったのである。



警告カード、何枚まで続けられるかわかりませんがともかくやってみます。


小憎らしい事、朋輩を失うことになるやもしれないことも、ちょっとはまぶしてみますね。


例えばです、何やらここへきて一気に雲行きが怪しくなってきて「サマータイム」導入

なんてことが実現されてしまいそう。そしてその先にはグローバルスタンダードとかで、

学校は9月に入学で新学期スタートなどという神をも恐れぬ仕業を見据えている人々が

いるようです。本当の専門的な事は私にはわかりません。ただ直感で言うだけです。

緯度の高い欧米のまねをしてもとか、只でさえ睡眠障害の人が多いのにこれ以上増えたら省エネの節約分くらいすぐ医療費等で食いつぶしてしまうとか、交通機関の過密システムの動作ミスによる事故の事とか、もっともらしい反論はいくらでもできるでしよう。

しかし説得力はないかもしれませんが単刀直入に言います。

「およしなさい」

まして「桜吹雪のあの季節にオセンチにならずして一体全体いつ浸るのですか」


明るい時間の余暇が欲しかったら、単に一時間でも二時間でも早く仕事をスタートさせれば

いいだけのことです。


まあそんなところ。「小選挙区」導入の時や「郵政民営化」の時のように、それに反対する人は守旧派だの反動だの何か未開人でもあるかのようにイメージ誘導されがちですが、

モノ作りをなりわいにして、野菜づくりや大工仕事のまねごとをし続けてきた感覚オタクの

somerieが一同爆笑の中、「政治生命」を賭けて言い放っておきます。


「悪い事は言いませんから、こんなことは頭からどけて、もそっと他のことに知恵を回してくださいな」


多分こういう人工的なことは所謂「筋悪・スジワル」な線。



かくしてわたくしは作らなくてもいい敵を作ることになるやもしれないのであった。

皆々様お許しあれ。


1枚目                      2008/6.20


嵐山光三郎「妻との修復」(講談社現代新書、2008)より


「どんなかわいらしい娘でも、結婚して7年たつとおばさんになる。

14年たつと妖怪になる。21年たつと鬼婆になり、28年で超獣となって、それ以

上たつと手のつけられない神様となり、これを俗にカミさんという。」

「妻とうまくやるための50ヶ条」より・・・・・

「いっさい口ごたえしない」というのは金科玉条であろう。

結論は「歳をとって妻が威張り出すのは世の常であるから、ぼけてぼけてぼけまくり、妻の圏外へ逃走する。そうすると地平の果てに道楽人生が見えてくる。逃走しつつも離婚をしないところに夫の居場所がある。」



とのことである。コメントは一切付けない、ただ引用のみ。

私には責任も弁解もなにもありません。

ただ岩下志麻さんの旦那さんであるところの篠田正浩監督のこんな言葉を思い出したことだけを付け加えさせていただく。

「夫婦とは互いの絶望を慰め合って生きていくものだ」


それからね、もう15年以上前だと思うがNHKの番組に将棋の大山名人が出演されていた時

お母様からのメッセージというのでこんな言葉が流されたのを思い出した。


「お前はそそっかしいところがあるから気をつけるように」

で、多分60歳過ぎの大山康晴永世名人はこっくりこっくりうなずかれていた。


おおっ、あの鉄壁盤石の大山さんにお説教とは!!

笑いか或いは涙無しでは聞けないではありますまいか。


で蛇足ですがsomerieも一言。


最初はともかく「彼氏」は父親ほどには絶対的にいつまでも大事にはしてくれないし

「彼女」は母親ほどにはいつまでも言うことを聞いてくれる訳ではないのだよ。


なんて。 

ガードが超甘のわたくし。一般論を並べたまででした。


そして

言い訳がましく言うと,こんな煩悩の中での着物作りとは、なんてところまで

踏み込めたらと思ってます。



2枚目                         2008/10.13

山本モナをめぐって


もう「騒ぎ」が過ぎ去ってしまっただろうに何をいまさら、と言われそうである。

一言でもこれに触れれば墓穴を掘りかねない、まさに地雷を踏む行為。


でも。

2008年、この夏身も震える言葉を聞いてしまったため

しもじもの皆さんにご披露したくて手が(キーボードが)止まらなくなってしまったのだ。


気象庁発表にもあったように、この夏は大変雷・落雷が多かった。

わたくしも山での作業を満足に終えられた日はついぞ無かった。

常に雷鳴、降雨と共に逃げ込む有様。

その日、この夏でも最大級の雨嵐突風落雷が過ぎ去って。

(こんな感じ・詳しくはHinoharamuraへ)


さて気を取り直して作業再開というところへ来客。

小生「凄かったですねぇ、生きた心地がしなかったです」


お客様「でも成瀬さん、雷は避けようと思ったらなんとかなるけど、

女房の直撃は逃げようがないからな。この世にカミサンより怖いものなんてないさ」

小生「・・・・・・・・」


というわけでモナ嬢であるが。

お相手のミスター二岡はまだ怖いもの知らずだったようである。

大半の男がそうであるように、ガードが甘く小便小僧である。

このような大それたことをしでかすためには、

小沢昭一先輩が秘伝を垂れて下さっているのに習い10年計画でことに及ばねばならない。

結婚したら、自分が外では全くモテないつまらない男であると女房に信じ込ませなければならない。

女達にいいように利用される「いい人」・「完全安全牌」以下の男だと。

この技を10年以上にわたって演技どころか体にしみ付いた人格のごときまで磨き上げねば。

そして万万が一コトが発覚しても「フンっ、まさか。あのヤドロクが」

と女房に微塵も疑念を抱かれないような達人の境地に達してからでなければ

すべきではないのだと。


変人的小説家丸山健二も言っているではないか。

「別荘と愛人は持ちたい、持ちたいと思っているうちが華。実際に持ってしまうと

 これほどメインテナンスが面倒なものはない」

そうな・・・・。


二岡には広島カープにでも移籍して、長島が「大器」の予言をしたとおりの

大化けで口うるさい羊達を黙らせてほしいものである。

あの騒ぎの後、マスコミ・2chはじめネットでも両名を非難する話ばかりであったが

自分が「したくてもできないこと」と「嫌いでしたくないこと」を混ぜこぜに

しないでもらいたいと思う。

したくてもできないから「倫理」の側に付くのは笑い話である。

両名を擁護する気なんてさらさらないが

こんなあたりがけっこうおおらかな人は、例えばベトナムやフィリピンからの「養子」なんかに

寛大だったりするのに対し、そういったデリケートなことに偏見を持つのが

せせこましい「倫理」と背中合わせだったりするのを見るとなんだかなぁ、

という気にもなったりする。


さてもう一方のモナ嬢であるが。


この夏わたくしは村上春樹訳のスコット・フィッツジェラルド「グレート・ギャツビー」を

読んだ。村上春樹が生涯の三冊として「カラマーゾフの兄弟」(ドストエフスキー)

「ロング・グッドバイ」(チャンドラー)と共に挙げていて、なかでもこれ一冊と言うなら

「ギャツビー」を、という曰く付きの品だが小生未読であった。

山では夜ラジオもテレビもない。全くの無音の中、本を読むことだけが楽しみなのである。

二晩で読み終えたが印象に残る一節がある。


語り手の「僕」は都会に出て、ギャツビーを頂点とした「化け物」的な人間達の間で生きていくうち

「我」を取り戻し故郷へと帰っていくことになるのだが、田舎に「約束」をした女性がいることを

気にしつつも派手なプロゴルファー「ジョーダン・ベイカー」と関わる。

「彼女は救いがたく不正直な女」であり「まだ若いうちからごまかしに手を染め」ていることを

知りつつ「僕」は深くは考えなかった。

そんな彼女の「正体」を見るかのように「君はまったくひどい運転をするんだな」

「もし君が、君と同じくらい不注意な人間に出くわしたとしたら、そのときはどうなるんだろう」

ジョーダン「私としちゃ、そういうことが起こらないことを願うのみね。不注意なひとたちって

いけ好かない。あなたのことが好きなのは、だからよね」 


そして最終章、別れの話のとき。

ジョーダン「ああ、それからあなた、覚えているかしら。下手な運転について、私たちが

話したときのことを」

「不注意な運転をする人が安全なのは、もう一人の不注意なドライバーと出会うまでだって、

それでどうやら私はもう一人の下手なドライバーに出くわしたみたいね、そう思わない」



さて。保険会社の人が言っていた。

事故を起こすのは2割くらいのひとで、その人たちが繰り返し保険の厄介になっているのだと。


モナさん、「美貌」やら「才能」やらを持て余しているのだろう。

それはそれでなかなかつらいことだろうて、30歳という御年をかんがみてもね。


一昔ばかり前、東京は中野区の区議だったか三井某という美形の方が

「ミスコンテスト」は女性蔑視、女性差別だから断固廃止すべきだと言い出したら

まぁそう向きにならんでも、という風向きのなか、当の応募女性達から

「あなたは才色兼備で気取っていられるけれど、私にはこういうので勝ち上がっていくしか

能がないんだから黙っていてくれ」という声があがった。 

似たような例で「小人プロレス」が「差別」だといって問題視されたとき、

やはり当事者達が「自分らはこれしかなくて精一杯やっているのだから」ということで

かえって賛同を得られなかったようなこともあった。


人も羨やむあれこれを持っているのに「不注意」なモナ嬢。

これってけっこうけっこう根が深いから怖いことだと思うのだよ。

「ギャツビー」の「僕」は虚飾に満ちた世界から去っていった。

この小説は人間の「虚栄」のことにそこここで触れている。


だがしかし。

年とともにだんだん用心深くなり異性のことも多少は見えてきて(そういう気がしているだけだが)、

つまりは「不注意」がなくなっていき、結果だんだん「出会い」とやらが

困難になってきているようなふうな気がするのはいいのかわるいのか。


「うっかり」やら「いきおい」やら「不注意」やら、

これはすべて子孫繁栄のため。


あとから正気に返って意味付け、後づけ。

この大事な作業をおろそかにすると雷の直撃を免れえないということであろうか。


最後にこの夏、山で読んだもう一冊の本から。


「大絶滅 EXTINCTION」ディビィッド・M・ラウブ著 平河出版社 1996

地球史上、大量絶滅はほぼ2600万年周期で起こっていて、そのひとつが恐竜が滅びたとされる

白亜紀末の大絶滅だったという内容なのだけど、いろいろな可能性を数理的に処理して

確率でわかりやすく語っている。


その一節にイギリスの18世紀の経済学者マルサスの話があって、200年の調査で

最初にあった名字の4分の3が消えていっていたというのである。

その後の研究によっても「人間社会における名字の寿命は驚くほど短い」ことが書かれている。

ものすごく長く続く家系がある反面、大多数は存続しない。

家系やらお墓やらに必要以上に固執してももともと無理があるのであった。

だからこそより守ろうとするのかもしれないが。

ということは「デリケート」な問題、「皇室」の継承にしても直系男子のみということは

無理があることを生物学者が言い出せば、などと思うのであるが。


モナ問題のようなことは人の気持ちを逆撫でする。

「本筋」からはずれてうまいことやりやがってとなんかオモシロクナイ、と感じさせるので 

あろうか。

本筋とは「子孫繁栄」のこと。


しかしあまり生物学やら動物行動学的な筋からアプローチすると

特に女性からいやがられるのでいい加減このくらいにしておく。



3枚目                      2008/12.3

ピカソの恐怖が伝わってきてしまって


ソメリエブログ アート版   http://silkgallery.blogspot.com

に詳細を書きましたがこのたびのピカソ東京巡業に遭遇することができました。

そして分かっているだけでも7人の女性達とのあれやこれやが画面から妖気のように立ち上るのを感じ

思わず足がすくみました。案の定、楽じゃなかったのだなぁと・・・・・。

わたくしはイエローカードないしはレッドカード覚悟でおそるおそる憎たらしいことを書き散らしてきましたがまだまだ臆病者でなかなか世の真実に近づきえません。

しかしいつの日にかとしずしずと前進していきたく存じます。


本日の話題は。

アメリカの心理学者ワイズマンという人の研究より、

広く言えば男女それぞれの「自己認識」といったようなことに関して。

「異性へのどんなアピールが好まれ、あるいは嫌われるか」ということを男は案外きちんと把握できていたのに反し、意外や意外女性は「こうすれば男への良いアピールになるだろう」と自分が考えたことと実際に男達が反応したことのギャップが大きいという調査結果を発表していたのでありました。

平たく申せば女性の考える「男ってこういう女が好きなんでしょ」というのはあまり当たらないというのであります。男は単純だからツボさえうまく押さえとけばグゥー、と言われていて男自身もそう思わせられてきていたようなのに、豈図らんやというわけなのでした。

つまり男って言われていたように「単純」じゃ無いのかもしれません。

男と女の間の勘違いというのは様々ありましょうが、だからこそ接近できるということもあるのでしょう。ドサクサに紛れて、巷で拾った女性はいいと思っているらしいけれど、大半の男は好きでない、あるいはできれば避けたい、あるいは嫌い!というものをリストアップいたしましょう。

ただし、この件については言いっぱなしでいっさい責任は負いませんから。


ネイルファッション・キュロットスカート・金髪・茶髪・アフロヘアー・ソバージュ・耳以外のピアス

・重ね着ファッション・カラータイツ・タイツ&スカート・極微量以上の香水、コロン・手が隠れるセーター・威嚇的メーク・タトゥなんて論外・バレンタインのチョコそのもの・おやすみメール・アニメ声・焼き芋・らっきょ・・・・・・・・知りません知りません。

勿論私も賛同系のものはありますが厳正なフィールド調査の結果の一部だけですから。


結婚詐欺の事件で繰り返し出てくるのが、男が国際線のパイロットで、その制服姿で現れていたという

のけぞるようなシチュエーションですが、これは一体全体どういう自己認識の構図になっているのでしょうか、理解不能。「成田からチョッキだったので・・・」。あの制服は私生活では着ること無いといわれていますし・・・・。


今回は人様に責任を押し付けたシリーズでありましたので幕引きもそんな感じで

古今東西の憎らしい一言ということでお開きを。


「独身者とは妻を見つけないことに成功した男である」 

(アンドレ・プレヴォー) 


「裕福な独身者には重税が課されるべきであろう。 

ある人間が他人よりも幸福であるというのは不公平だ」 

(オスカー・ワイルド) 


「女を腕の中に抱くと――やがて腕にぶらさがられ――そのうち背負うことになる」 

(サシャ・ギトリー) 


「女たちは私には象と同じように思える。眺めるのは好きだが家に欲しいとは思わない」 

(W・C・フィールズ) 


「私は男でなくて幸せだ。もし男だったら、女と結婚しなければならないだろうから」 

(スタール夫人) 


「結婚した人々の唯一の楽しみは、他人の結婚に立ち会うことである……悪魔的な楽しみだ」 

(ラモン・ゴメス・ド・ラ・セルナ) 


「離婚の動機ですって? ありますとも、弁護士さん、私が結婚しているということです」 

(エミール・ポラック弁護士) 


「人は判断力の欠如によって結婚し、忍耐力の欠如によって離婚し、記憶力の欠如によって再婚する」 

(アルマン・サラクルー) 


「頭のいい男は良い夫ではありえない、なぜなら彼らは結婚しないから」 

(アンリ・ド・モンテルラン) 


「女たちを知れば知るほど、私は自分の手の方をいとおしく思う」 

(ショロン) 


ではおやすみなさいませ。


        

                          pre next


            Copyright  2008  Silkgallery